陰陽師とは

陰陽師とは昔は国家専属の占い師であり、秀逸な天文学者でした。
安倍晴明や蘆屋道満が有名ですね。
大陸より仏教伝来とともに道教や東洋思想が伝来し、
日本で独自に発展した形が陰陽道になり、
これを起点として陰陽師は占いや祈祷、国家の平安を担ってきました。

陰陽師の存在価値

平安京に中務省という国の重要機関が集結した場所があり、風水でいう鬼門にあたる位置に陰陽寮という陰陽師の仕事場がありました。国家に付け入ろうとする鬼を祓うためこの位置に設けられました。キリスト教や神道、修験道、甲賀忍者などの文化を取り入れ、占い以外にも主に疫病と雨乞い等の農作物の豊作を願う祈祷やお祓い、悪鬼退散(鬼の手土産を奉納し喜んで帰ってもらう)をしていたのが平安時代になります。明治維新により西洋文化に大きく変化し、更に国家神道に切り替わってから陰陽師制度は廃止されました。

陰陽師の力

空想論のように現代では表現されたり伝えられていますが、明治維新の際に国家の重要な教えや資料をとある機関に没収されたため伝説のようになっていますが、家系や選ばれた人に密かに伝承されてきました。その中で霊能力を用いる者もいましたのでその系列では霊術や呪術等を駆使して人に寄り添う流れになり現代まで続きます。
暦作成、占い、呪術それぞれ家系や縦の繋がりでしか伝承されていないというのが現在であり、私は主に呪術と風水や開運法とロジックを学びました。

亀田剛典の人生

医療の道へ

1993年10月28日生まれ。広島県出身。
古来よりお寺と癒着があり寄付してきた地主の家系で育ち、小さい頃からプロ野球選手を目指してフィジカルとメンタルの研究とトレーニングを積みました。
高校では首相を務め部員への技術練習や筋力、メンタルトレーニングを独自で考えて自ら指導しておりました。
精神ストレスが原因で心霊現象によく遭遇し、歩けなくなるほどの怪我をしたが、霊能者の整体とでメンタルケアを受けたところ奇跡的回復を果たしたことから、まずは医療の道へと進みます。

どん底からの出会い

学生時代には生活費や勉強代を稼ぐためアルバイトで居酒屋や黒服、キャッチ、スカウト、無料案内所などでも働き社会と人間の表と裏を見て感じながら学びました。
のちに病院勤務と独立準備のため大阪へ出てきてから有名なヒルズ族の方とご縁するがコンサルティングの詐欺にあい600万円の借金を背負い職場でのストレスにも耐えられず、貯金6000円の状態で独立。最初はお金がなく道頓堀などで路上で気功整体をしてなんとか凌着ましたが人生の限界を感じて明日を見失い絶望しました。その時私の師である陰陽師煌明氏によって救われました。

己の使命を知る

私に沢山の悪霊や貧乏神がいて、物事の捉え方も誤っていたところを学問と霊能力によって解消していただき、助言と御指南頂いた事を徹底的にやりました。すると、ご縁やお金回りは右肩上がりになりようやく自由な暮らしと精神の豊かさを得ることができました。
それを機に、人は見えないものの影響を常に受け、誤った思考で自ら健康を害したり人生で必要以上に苦しんでいると知り、これが私が命を懸けて人生を懸けて社会貢献していきたい事だ!自己実現していきたい事だ!と気づき、師に弟子入りを志願しました。

宗派を越える

学び、鍛錬を積み上げ、煌明流陰陽師として認めて頂き今日に至ります。

陰陽師となってからも台湾やタイの道教神社や仏教寺院へ行き学びを続け、国内では浄土真宗の住職さんや天理教、金光教の宮司さん、キリスト教の牧師さんとも意見交換や交流を深め宗教学、哲学の対談も行なっております。
日本を支えてきた寺社仏閣の教えと伝統を守り、未来の子供達に残し続けるため寄付と参拝活動も毎月行っております。